みこちゃんの小説ブログ

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Alone Again...キャバクラ(2/全17回)

 一般人は、終電とともに占い師も店をたたむと思っているだろう。しかし終電が終わったあとも客足は遠のくことはない。偽占い師の稼業は終電とともにピークがすぎるのだ。

 歌舞伎町あたりから流れてきたキャバ嬢に俺の店はよく使われていた。

 なんのことはない。金は連れの男持ちだ。男は数ヶ月ホールに通って、やってお目当てのキャストを口説き落としたばかりだ。ここで占い代金などケチっている場合ではない……だが、女は単純に、アフターの疑似恋愛を占いで盛り上げたいだけの話だがな。

 今日は客は少なかったが、そういうすこぶる金払いの良い客ばかりで、当たりの日だ。俺も手慣れたものだ。二人分で15分2万円などというのは当たり前。
 男にしてみればこのあと、最低限ホテル代と自宅へのタクシー代は残しておきたいところ。しかし、いざとなればクレジットカードがあると思っているだろう。

 ……ところが、俺も含めて占いは現金オンリーでの支払いとなっている。だから、売上げが焦げ付くことなんてことはありえない。男たちは、引きつった顔でシミの付いた革ザイフから、角の折れ曲がった一万円札を未練に引きずられながら抜き出す。
 キャバ嬢の猫を撫でるような甘えた声にねだられれば、逆らうことはできない。

 だが、気の毒にこのあとは、高級焼き肉と寿司屋に行くだけでおしまいだ。キャバ嬢が、簡単にホテルなどに行くわけがない。

『俺に大枚を支払っても、このあとそんなに大金が必要になることはありませんよ』

 サディスティックな気分でそう忠告してやりたくなったものだ。

 それで、そんな毎日を繰り返すうちに、キャバクラのキャストから「すっごーい、100発百中だよぉ。ねえ、今度お店に来てみんなのも占ってあげて」と言われることが増えていった。
 ……これで有頂天になるようでは、偽占い師などは務まらないがな。彼女たちだって、少しでも自分の売上を上げたいがために、俺を一人のバカなスケベ野郎扱いしているだけだ。

 しかし、持ちつ持たれつの関係はできていく。そのあたり、夜の商売のもの同士の阿吽の呼吸があるものだな、と不思議な気持ちになる。

 そう。

 彼女たちは俺にとっては、カモのスケベ野郎を偽占いにつれてきていくれる腕のいいポン引きみたいなものだ。だから、俺もたまにはお返しのつもりで彼女たちの店に行くのがいつしか日課になっていた。キャバ嬢のために俺に巻き上げられた金で、俺はキャバクラに遊びにいくようになった。

 遊び友達がいればそいつも誘ってやったんだが、あいにくと俺にはそんなやつはいなかった。それが「遊び」であっても、俺には友達の必要など感じられなかった。

 

 キャバクラもまた終電をすぎると客層がガラッと変わる。一言でいうと、店に落ちる金額にゼロが一つ二つ多くなるのだ。

 終電前までは、小遣いを切り詰めて、ときにサラ金で少額つまんだ貧乏人共がキャストの注文するフルーツ盛り合わせに冷や汗を隠しながら地味に遊んでいる。
 ところが、終電などもう気にしなくていい時間には、店の雰囲気はガラッと様変わりする。IT成金や怪しげな自営業者、株や外国為替証拠金取引の成金などが、天井に札束を投げてばらまき、キャストの女の子たちに犬のように拾わせたりする。拾った者勝ちだから女の子も必死だ。ときには怒鳴りあいの喧嘩も始まる。

 今日もまた、そんな、投げる方も拾う方も田舎者丸出しの乱痴騒ぎが繰り広げられているのを横目に、俺は苦笑する。苦笑しながら、指名した「彼女」を待った。

 俺の馴染みの店に、そんな見苦しい「札束ゲーム」に距離を置いて、参加しないキャストがいる。この女は、異色のキャストと言ってよかった。
 何が異色か。大抵のキャバ嬢はしゃべるのに精一杯で、客の話など何も聞いていないものだ――が、この女だけはいつも違っていた。

 客の話にごく自然な相槌を打ち、妙な無言の沈黙が決して入らないように絶妙のタイミングで、まったく違う話を始めたりしている。

 笑い顔がとくに魅力的だ。男に挑むような蠱惑的な視線は一切ない。かといって、天然ボケというキャラを演じるあざとさもない。
 キャバクラには二種類の女、必要以上に男に挑戦的な単純バカ女と、バカなふりをして客を騙すことに嗜虐的な喜びを感じる、ひねりの効いた真正バカ。その二種類しかいないと思っていたのだが。

 その中で、この女は特別だと俺は思ったのだった。

 ――そして、彼女が黒服に連れられ、俺の席へあの笑顔を浮かべながらやってくる。

「ごめんねー、シンゴさん。お待たせ!」


 キャバクラには店内指名と本指名がある。もちろんキャストにも店にも嬉しいのは本指名だ。指名料が五割増しの割高になるし、なにより本指名するということは目当てのキャストができたということだ。客はそのキャバ嬢が他店にでも移らない限り、その店に通い詰めることになるだろう……今の俺のように。

 女の名前は「みゆき」だ。
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 今日みゆきを連れてきた黒服は、最初に彼女の名前を聞いた奴だったな。あの時、まるで自分自身のたからものであるかのように、自信を持った笑みを浮かべて俺に教えてくれたのだ。

 この女が、みゆきがナンバーワンでないわけがない。
 初めて話した時から、そう確信していた。

「いいね、あの子。独特だ」と黒服に呟いた時に、俺は相当遊び慣れた男だと思われたようだ。だが、別にそうでもない。ただ、もし仮に他のキャストがナンバーワンのみゆきにあやかろうとして、同じスタイルで接客したらたちまちボロが出るだろう。
 今もそうだ。初めて出会った頃から、さらに磨きがかかっているように見える……だめだ、可愛くて仕方がない。男をスケベな馬鹿野郎だと思っているキャバ嬢達を、俺は違うぞ、と冷ややかに見ていたはずだったのにな。

 呑まれたくて、しかし呑まれたくなくて、初めて話した時の黒服の反応をまた反すうする。俺の感想に対して、あいつは確か、「まあ、キャストごとに個性はございますから」とか言ったのだったか。

 俺は満足だった。黒服は二度俺の前で素顔を見せた。最初は黒服の立場を離れてみゆきを自慢気に紹介した瞬間。そして、同じスタイルでの営業は他の女にはできないと断言した俺の評価に驚いた時だ。

 おそらく、店中の女に嫉妬されながらも、黒服たち男性スタッフの評価は抜群だろう。それがみゆきだ。

 俺は、その日は店内指名でみゆきについてもらった。
 そして翌日から、偽占いを店じまいしたあとはまっすぐ歌舞伎町に向かって、みゆきのいる店にみゆきを本指名で横に座らせるようになった。

「今度来てくれよ、みゆきちゃん。百発百中だって評判なんだぜ俺の占い」

 それが最初にみゆきにした自己紹介だ。みゆきも、あまりにも俺の使う金の量が多かったので、職業に興味を持ったらしい。もっとも、キャバクラ遊びの売掛金が飛ばないように、店長から俺の身元確認指示が出たのかも知れないが。

 俺が”売れっ子”占い師だということが分かると、みゆきは心から楽しそうに「じゃあ、今から占ってよ」と言って俺の手を握り、自分の手のひらを俺の掌の上に載せた。

 暖かくて、人間の血の通った手であることに一瞬狼狽の念を覚えた。今でもその感覚が手に残っている。

「いや、みゆきちゃん、占いにも色々あってね。おれのは手相占いじゃないんだよ」

「あっ、そか。はやとちりしたよ」

 だめだ、可愛い。

「タロットカードを広げないといけないから、今度ガード下の角にある俺の店に来てよ」

「いくいく。もちろんいくよ」

 俺は、その頃はすでにみゆきの仕草や、人柄に惹かれていた。いや、正直に言えば、惚れていたのだった。
 だが、相手はナンバーワンのキャバ嬢だ。こんなことは演技だということは分かっている。彼女は、その演技が天才的にうまいだけなのだ。天才的に演技のうまい女優は、私生活でもおそらくどこからどこまでが演技で、どこからが素なのか区別がつかないと聞いたことがある。

 その意味では俺だって「偽」占い師。
 毎日みゆきと同じように、客を相手に演技をしているので、演技か演技でないかのすれすれの境界線、一般人が見落としてしまうような境界線などはたやすく分かるのだ。

 ただ――みゆきには、それは一度も確認できなかった。
 だから俺は、あの時みゆきが「いくいく。もちろんいくよ」と言ってくれたことが心底嬉しかった。

 しかし、みゆきは一度も俺の店に来てくれたことはなかった。

「いくいく。もちろんいくよ」

 これが演技なのかどうか、俺には分からなかった。
 その境目が見えないのだ。もし本当なら、来てくれないのはいったいなぜなのだろうか。はなから来る気がないのだったら、みゆきもその他大勢のキャバ嬢と同じだ。

 それはとりもなおさず、俺自身がそこらのスケベオヤジとなんの変わりもないということになる。
 そして、おれはみゆきに本気で惚れてしまったがために、その演技と演技を超えたものの境目が見えなくなっている。

 あの日から『みゆきちゃん、いつ来てくれるんだ?』と、まるで追い打ちのように確認するのがこわくて、その話だけできずにいる。他愛のない、しかし夢のような、楽しい会話の時間ばかりが過ぎていく。 

 毎夜、偽占い師としてキャッシュで百万以上も稼ぎ、キャバクラでその金をほとんど使い果たすVIP扱いの俺は、もはや「その女のために生きている」と言ってさえいいようなみゆきの前で、いつも内心は不安な心を抱えていたのだった。


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 その、翌日。

 雨が激しかったという点を除いては、いつものようにありふれた日のようだった。終電前の行列が一気に潮が引くように片付いた、しらけた空白と雨の投げやりな音。

 おれは売上の札束を数えていた。雨のせいか、若干売上が落ちていた。
 大した金額ではなかったこともあり、こんな生活がいつまで続くのか、多少弱気になったのも事実だ。

 そこにみゆきの顔が浮かぶ。

 自然な笑顔で自分の目を見てくれる。
 直視されても構えずにすむ女性の目がこの世にあるとは、いまでも信じられなかった……。

 アル中のクソ親父が母親を殴り、小学生の俺は何度も父親を止めようとして殴り返された。歯が折れたこともある。しかし俺は毎回やったんだ。

 母さん……。

 母さんを守ろうとしたんだ……。

 母親はそんな不甲斐ない俺を、いつもまるで詰問するかのような厳しい目で睨みつけていた。
 だが、俺は母親を恨もうとは思わない。俺にもっと力があればよかったのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 涙は乾き、そして頬にこびりついた。そしてこびりついた涙を拭かないまま、その涙はまた次の日に上書きされた。
 少年の日の柔らかい頬は、こびりついた涙の堆積で古い地層のように徐々に固くなり、涙はもうこびりつきもしなくなった。古い地層の中にどんな少年の思いがあったのかさえ、もう地表からはうかがい知ることができない。

 雨の音の中に、みゆきの弾けた笑い声が混じったように聞こえた。

 声が聞きたい。

 また、この雨のように泣いてみたい。

 あるいは!

 その雨は、俺のこびりついた涙を溶かしてくれる……。

 

 自分の感傷を嗤った。

 静かだが頑固な雨が一瞬止んだ。


 「やっとこれたよ」


 みゆきがあの笑顔で立っていた。


 『来てくれたのか……』と、俺は心のなかで叫んだ。
 時が止まったように、言葉がでなくて、ひどく間抜けな面を晒しているに違いない。だが、そんなことも気にならないぐらい、俺は固まっていた。

「ごめんね、事情があってね」

 事情なんて何でもかまわない。

「いつももっと遅いんだけど、今日は店長に無理言って早めに店は早退したの。この子の誕生日だから」

 みゆきのコートの後ろから、未就学児童と思われるみゆきそっくりの愛くるしい顔をした少女が顔を出した。なんだか怯えているような顔に見えて、俺は理由もなく自責の念にかられた。

 あぁ。子供が、いたのか。
 初めて知った。

「深夜保育に毎晩ダッシュでお迎えに行かないといけなくてね。それで、ずっと行きたかったんだけど、いつも時間が取れなくて……」

 普段は母娘とも、帰りは遅い。だが、誕生日という特別な日だから……家では、午前零時を回って一日遅れになったこの子の誕生日を祝うために、旦那がケーキでも用意して待っている……ということか?

 キャバ嬢には確かに、家庭を持っていて、お金のために働いているのも多いことは知っていたが、みゆきからはそういう話は一切聞かなかった。いや、あるいは俺は、そういうことを聞かないようにしていたのかもしれない。

 何かが崩れるような心地がして、俺はなんだか、泣きたいのを通り越して妙に大声で笑いたい気分になっていた。

「気にしないでよ。せっかく来てくれたんだ。事情もわかったから、手短に占うよ。お嬢さんのも一緒に占ってあげよう」


 この時、俺は自分のタロット占いの技が偽物であることを呪った。
 悪魔を意味する十五番のタロットカードに、念じたかった。
 今後生きていくすべての寿命と交換してもいい、今から占う二人分の占いだけは、どうか、本物のタロット占いの霊感で占いたい。

 そのためなら、なんだって惜しくない……。

 しかし、悪魔の囁きは訪れなかった。


 かわりに天使の声が聞こえた。

「じゃあ、さっそく二人分占ってもらおうかな」

 俺は再び独りの自分を確認した。

 そして、職業的な手付きでタロットカードを並べはじめた。